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「太素の水」と日本文化の本質

2012/12/27

新渡戸女史に「太素の水」なる話を聞いた時、少々驚きと親しみを感じたのは、その数年前、水の働きを価値基準にした文化が古代出雲を中心にあったという事を述べた『出雲文化・水の文化』を出版した経験上、「水」に関して敏感になっていたのだと思う。その「太素の水」の「太素」が新渡戸傳翁の号であると知ったのはだいぶ後のことである。

新渡戸傳翁が太素と名乗った理由に興味を持ち、漢字源で調べると「素」は人工を加えない物事の本質、資産や金をかけていないことを意味し、「太」は立派ということである。従って、「質素ではあってもその本質は素晴らしい」という内容を伴う。これは、深く高い志を持ち、生活は質素・倹約を旨とする武士道精神に通ずる。贅沢を戒め、大志に生涯を捧げた傳翁の思想を象徴するのが「太素」であり、新渡戸稲造博士の『武士道』につながる水脈となっているように思われる。

日本文化の根源は「簡素の精神」である。西洋の教会などに見られる華美な彫刻などの装飾とはかけ離れた日本建築に共通するのは簡素である。その「素」を「太素」と号した新渡戸傳翁の思想は本来の日本文化の極地につながっている。

簡素に象徴される日本文化の伝統は、水に対する畏敬の念と水から学ぶ思想と深く関っている。身を清めるための禊、神域を囲う瑞垣、神域との境を示す、つまり結界としての水の流れ(伊勢神宮の五十鈴川等)、水琴窟、歴史ある禅寺にある池や枯山水や石庭、水の上に浄土があるとして池の中に建ててある宇治の平等院、多くが水の働きに価値をおく象徴として存在し、また、瑞々しい、水入らず、水に流す等、水の美を例えた用語等、水の働きや特質を精神的、物理的に取り入れた文化の特徴を見ることが出来る。

「上善は水のごとし。水、善く万物を利して争わず」老子の言葉である。老子、荘子ばかりでなく、孔子、孟子もやはり水に言及している。大河のほとりに立って、「逝く者は欺くのごときか昼夜を於かず」と嘆いた孔子は、絶え間なく流れる水に流転する人生を見、「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」といって水に深い関心を示した。また中国のみならず、哲学の始祖ターレスも水を万物の根源とみなし、日本の武道でも「柔よく剛を制す」というように水の特質を人生の道しるべとしたり、一切の無理を排除して自然体で事に臨むような政治家を「水は方円の器に従う」という水の特性に対比して評価している。

これらの事を考えると十和田の伝統精神はそのまま日本の古来から伝わる根本精神でもある。誇りを持って世界に広めてゆきたいものである。

(佐藤栄子 東京在住)

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